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今日は、4月から始まった7年に一度の長野市善光寺御開帳をご紹介します。
善光寺の御本尊は皆さんもご存知のように、秘仏で誰も見たことが有りません。百済から来た阿弥陀如来を本田善光(よしみつ)が、大阪難波の堀から背中にかついて、信州に来たものです。
ご利益があるので、武田信玄は、川中島の戦いの前に、甲斐の国甲府にお寺ごと移動し、武田氏が滅んで、織田信長が岐阜に招き、豊臣秀吉は、有名な京都方広寺の御本尊として、お迎えしましたが、豊臣家が滅びそうになって、本来の居場所の長野に戻しました。
庶民にはご利益のある秘仏阿弥陀如来の前立御本尊様に7年に一回だけ回向柱に触れることができます。
古くから「遠くとも、いちどは詣でたい善光寺」と呼ばれるように、多くの高僧や、文人墨客が訪れています。親鸞聖人は、現れた善光寺如来の御前に、松の枝を供されたと言われ。松尾芭蕉は、1688年日本一有名な月見の場所の姨捨の月を見に来た(更科紀行)の後、善光寺に参詣し、「月影や四門四宗も只一つ」の句を残しています。
小林一茶は、「春風や牛にひかれて善光寺」等、句碑があります。正岡子規、種田山頭火が「八重桜うつくしく南無観世音菩薩」と歌っています。
善光寺URL:
https://www.zenkoji.jp/meguru/
をご参照し、信州長野に御来信下さい。
本田善光が、地元飯田市に帰り、長野市に移るまで40年間、阿弥陀如来がいらっしゃった元善光寺。
元善光寺URL:
https://motozenkoji.jp/about/


写真は、善光寺御開帳奉賛会パンフレットを参照
地本屋のある浅間温泉から、土日祝日、善光寺行きに往復バスが、出ています。アルピコバスの予約が必要です。

